−余談

Fig.さわやかな高原の朝の散歩. 
なのに,起きてこないのが数名・・・

 諏訪湖でのチン事件の翌朝,チン起こし大作戦に参加して悪戦苦闘した連中は"目は覚めているのに体が動かない"状態で朝メシの時間になってもなかなか起きてきませんでした.
 水中作業,潜水作業はホンマ疲れます.
 小生は30台後半になって水中作業後と炎天下でのテニスの疲れに体力の衰えを実感しました.
 40才過ぎても「オレの体力20台」と豪語される方は一度この水中作業を経験して下さい.不眠症でお悩みの方にもお勧めいたします.

 蓼科からの帰途
 中央高速道路で大きな事故があって通行止めとなり,大渋滞に巻き込まれました.
 しばらくすると路側帯を歩くオネエチャン,オバチャンの行列ができ,「なんや?これ,アッそうか〜」
 やっとの思いで降りた飯田インターチェンジで事務所のトイレを借り,出てくると女子用には長〜い列ができていたので,すっきりさわやか気分の軽い気持ちでつい言葉をかけてしまいました.「イヤ〜皆さんゴクロ〜さんです」
 とたんに,並んでいたオネエチャン,オバチャンからキッと睨み付けられ,「ギョッ!!」.---皆いっせいに,ですからかなりの迫力でした.おっとろし〜


 蓼名荘は静かな別荘地のど真ん中にあるので,10時以降の高歌放吟は厳禁です.
 にもかかわらず,'84年ヨット&テニスは他の企業ヨット部も参加して総員29名の大所帯で,夕食後ドンチャン(に近い)騒ぎをしました.蓼名荘管理人のオバチャンのご注意も焼け石に水.---えろぅすみまへん

 数年後,テニス仲間と蓼名荘へ行った時に,オバチャンから「長谷川さん?だったですネ〜」と声をかけられ,「エッ!?
(こりゃアカン,管理人夫妻の頭のブラックリストには"代表者の名は長谷川照夫=オレの手配写真"がしっかりインプットされとる.)

余談− 夜は静かに,互いにネ
 蓼名荘のオバチャンの話では,
 学生の中にはもっとひどい騒ぎをする集団もいるそうです.
 家族で行った時も学生OBのグループが騒いでいました.「うるさいなぁ」と思いながら寝たのですが,夜中にふっと目が覚めて時計を見ると2時過ぎで,まだ話声が聞こえます.
 "アイツラ〜"と起き出して,ドアが少し開いてスリッパが散乱している部屋のふすまを"ここかぁ"と勢いよく開けると,豆電球だけで皆,スースー."アッ,ここは先にくたばったヤツらかぁ".
 で,次の部屋を開けると10人近くたむろしていたので「何時や思っとんじゃ,お前らのために世界はあるんじゃねぇゾ,アタマはどれや」,「はぁ?」,「リーダーかキャプテンおるやろが」
 一人がとぼけた顔で他を見回しながら,「オレかな〜幹事やから」,「おみゃぁでもえぇ,すぐにみんな寝させろ,寝れんヤツは黙らせろ」
黙らんヤツァ半殺しにしてまえ
 ---イャ,ここまでは言ってません,一応堅気の公務員ですから.

 自分の部屋へ戻ると愚妻が起きていて今度は小生がおこられました.
「ホントに役に立たないんだから」,「ァ?」,「うるさくて眠れなかったのよっなんとかして欲しいときは子供と一緒に高いびき.やっと静かになってきてうとうとしかけたら,ガバッと起きてそのまま飛び出してって・・・ アンタの怒鳴り声のほうがよっぽどうるさい」
 翌朝,「ウチはみんな寝れなかった」という家族連れもいて,その中の一人の先生がOBグループに穏やかに説教しておられました.
 愚妻:「ホラ,良識ある人はああなのよネ」
ハァ,良識も教養もいささか不足気味であることは認めます.
だっけどヨ〜その時ガンと注意したほうが効果あると思うけどナァ.
時間おくと何怒られてるのか分からなくなるデ.犬だって悪いことしたらすぐ殴れって言うやんか.

余談− 大渋滞で艱難辛苦
 '95年11月11日 夕刻,
 名阪道路関トンネルから名古屋寄りの事故で3時間近くも通行不能となり,大阪から帰る途中の小生一家も巻き込まれました.
 近くにトイレはなく,我々の車の止まったあたりに背の高い草むらがあったので,暗くなると例の行列が道路を外れてそちらの方へ.しばらくすると「いゃ〜ん,このへんベチャベチャ」の黄色い声も.
そりゃ,まぁ,土にしみ込むったって限度ってもんがありますからネェ.
 愚息に「男に生まれて良かったナ〜,お母さんに"男の子生め"って言ったお父さんに感謝しな」
 ウチの場合は車に常備の潮干狩り&水遊び用小バケツでOK.不格好で大きいだけが取り柄のワゴンはこういう時便利です.
But,「オレの愛車,移動トイレ代わりに使いよって」
 愛車には毛布から食器,湯沸かし,それにヨット用具と着替え,テニス,卓球,野球の遊び道具まで常に積んでいて,そのまま夜逃げもできる"可動仮設住宅"*みたいなものです.
"走るゴミ箱"*と言われることも,---ゴミ収集車と一緒にせんといて〜
 復旧・開通をただ待つしかなく,退屈なので1キロくらい先の事故現場まで歩いたりジョギングで復旧作業の状況を三回見に行きました.途中,例の行列とすれ違っても"大変ですネ〜ホンマに"と同情の念で目を伏せるのみ.
笑いをこらえてるなんてそんなことありまへん.
蓼科帰りのあの刺すような視線の集中を思い出すととても・・・

 開通してからは,ぶっ飛ばして一気に御在所サービスエリアへ駆け込みましたが,レストランは当然のことながらガラガラ.しかし,我々より少し遅れて着いた連中は営業終了時刻となり,シャットアウトでお気の毒〜
臨時延長考えてやりゃぁいいのにナァ,非常事態なんやから.

*利用目的は他にもいろいろ広範囲にわたり・・・
 老夫婦でヨーロッパ旅行の帰途,機中で義父が倒れ,成田までぉ迎えの要請を受けたことがありました.「救急車のつもりで行ったらョ,帰りは霊柩車だった,な〜んて.ガッハッハ (^o^)」
 走るサロン,遊び用具箱,寝台車として11年間子供たちに酷使されたこのワゴンも寄る年波であちこちにガタがきて,惜しまれながらの引退となりました.
 次の新車に乗ったガキどもの第一声:「せまいナ〜これだけ?」,「寝れん〜」
 愚妻の一言:「あまりガラクタのせないでネッ物置じゃないんだから」

 '93年4月2日 未明,
 白馬へスキーに行く途中の国道19号線でも事故による大渋滞に巻き込まれました.(大トラ同士の衝突だったので事故現場はかなりの迫力
 しかし,この時は例の行列はありませんでした.一般道路で回りは山林だし,まだ暗かったので皆さんなんとかなされたのでしょう.
 ところで,明るくなってから愚息と車を出て遊んでいたら,通りがかった早朝散歩風のおばあちゃんが「あそこの細い道から入ったら,村中ずっと通って事故の向こう側に出れるけど
 いいこと聞いたと「それ行け〜」,スポンと事故現場を抜けてあとはスイスイのゴーイングマイウエイ.
「帰りにヨゥ,あのおばあちゃんチ寄って一番いいおみやげ渡さないかんナァ」
「住所聞いたの?」
「ウゥン,名前も聞いとらん.村の有線借りて放送したろか,名乗り出てチョって」


 記:Jan.-1996