森 信 和 
 早いもので、もう30年経ちましたか、時は早く過ぎていくものです。
 振り返ってみると昭和47年に数名のヨット仲間が集まり、名古屋市役所のヨット部が創設されたことが懐かしく感じます。
 ヨットとの出会いは高校の同級生3人(名古屋港管理組合若松さん、水野さんと私)が何かすることが無いかと考えたすえ、海の好きな若松さんがヨットに乗ろう、それも自分達のヨットで海に出よう、全くの素人が危険をかえりみずヨットとの第一歩を昭和45年に鬼崎港から踏み出しました。

 名古屋市役所ヨット部の歴史が私のヨットライフそのものの人生になってしまうとは思いもしませんでした。
 創部当時の10年間はヨットに乗りたくて、毎週のように蒲郡ヨットハーバーに通いレンタル艇で海に出て練習していました。
 当時は実業団チームも自艇をあまり所有しておらず、レンタル艇のスナイプが毎週予約するのが大変でありました。
 市役所ヨット部もなんとか自艇を所有しようとしてアイシン精機、名工大から中古艇を買い取ったり、日本電装から無償で譲り受けたりしてヨット部財産が徐々に増えていきました。

 昭和49年に第1回の「全国自治体職員ヨット競技大会」が蒲郡ヨットハーバーで開催され、自治体の歴史とともに名古屋市役所ヨット部の歴史が歩き始めました。
 そして、環境が整ってくるとクラブの成績も上がり相乗効果により、いよいよ新艇を購入する話しが出てくることになり、昭和54年に当時のスナイプの最新鋭であるチャバスコをオクムラボートより96万円で購入したのが名古屋市役所ヨット部で初めて処女航海した艇であります。
 セールナンバーは23471で今では懐かしきレース艇であります。新艇はいつもいいもので、かわいいものでした。
 この時期から市役所ヨット部も部員が徐々に多くなり、最盛期の時代に入り、練習に蒲郡ヨットハーバーに行っても練習する艇がないぐらい今では考えられない状況でありました。
 また、当時は部員も若く毎年のように鬼崎ヨットクラブの岩井さんの「グッドタイミング」、早瀬さんの「ルナ」で鳥羽クルージング牡蠣ツアーを開催することになり、クルーザーの操船も習得する機会ができ、私もいつかはクルーザーのオーナーになろうと感じたころでした。
 冬は部員の家族でバスを貸しきり、白馬乗鞍スキー場のペンション「バク」に行った思い出や夜のスキー場での酒を飲みながらのヨット談議が楽しかったことが、今では懐かしく感じます。

 昭和62年2月11日に待望の30ftクルーザー「美州」を市役所ヨット部の7人(森(信)、水野、西田、小島、川浪、森(国)、深谷)で進水した時はこれほどヨットライフが楽しく、面白く、嬉しかったことはありませんでした。
 ただし、妻達からは「大きなオモチャ」で困ったものだと言われていました。
 名古屋市役所ヨット部は第二次世代に引継ぐことになり、美州組7人はホームハーバーの鬼崎ヨットクラブに加盟し、クルーザーで海遊びを満喫することとなりました。
「美州の命名の由来」
 メンバー全員が名古屋市役所職員でありヨット部員であることと、名古屋を中心とした地域を「尾州」と言われ、うまい酒を「美酒」と言うことから「美州」と命名する。

 この頃から愛知県ヨット連盟の組織に徐々にはまり込み、昭和63年に柴沼理事長、森事務局長となって名古屋市役所ヨット部が県連組織の中枢に入り込み県連を牽引することの羽目になってきました。  当時はバブルの絶頂期で民間も行政も燃えており元気な日本を創り出し、ヨット人口も年々増えつづけてきた最後の頂点でありました。
 愛知国体が平成6年に海陽ヨットハーバーで開催することが決定され、愛知国体の成功に向け、寝食も忘れ県連の組織づくり、事務処理をこなしてまいりました。
 市役所ヨット部からは徐々に離れ、愛知県ヨット連盟中心のヨットライフに変わっていきました。

 そして平成6年には名古屋市役所ヨット部第2のクルーザー中古艇ではありますが、「朝風U」が13名のメンバーで蒲郡ヨットハーバーをホームハーバーとして進水致しました。
「朝風U」の由来は昭和15年に名古屋市役所にヨット部があり,中部日本ヨット協会に加入していた記録がありました。その時所有していた艇が朝風(A174)であります。
 
 私も2艇のクルーザーのオーナーになることができましたが、県連の事務処理と国体に追われ、自分が乗る時間が取れない状況になってきました。

 そして県内のジュニアヨットクラブも平成元年の名古屋市制100周年記念事業として名古屋港で全国少年少女ヨット大会の開催を契機として「なごやジュニアヨットクラブ」「新舞子ジュニアヨットクラブ」が盛んになってきました。
 私の次女真貴子も新舞子ジュニアヨットクラブに在籍し、私の親バカヨットライフが始まりました。(私はまだ軽い方と思っています。重傷な親が一杯いましたから。)
 娘と一緒に北海道、広島、石川、福島、大阪などへ行ったことが本当に楽しかった時代でありました。
 娘もその後、ヨットがやりたくて半田高校ヨット部に入学した時は一人ぐらいヨットにのめり込む子供になって欲しかったことは事実であります。
 そんな親バカヨットライフは平成6年の愛知国体からさらにひどくなり、是非娘を国体に出場させてやりたかった。
 平成9年の高校2年生の時に大阪国体にシーホッパー級SRで出場することになった。私も日本ヨット協会の中央役員として参加しましたので親子の国体参加は人には言えない嬉しさがありました。
 その後、娘は私に「ヨットを教えてもらいありがとうございました。」の一言で高校を卒業するとともにヨット競技も卒業してしまい、今では大学生活最後の4年生になりました。(でも彼氏は高校ヨット部の先輩みたいだからいつかはヨットライフを楽しんでもらえるものと信じています。)
 娘と一緒にヨットライフをしていた時は妻の機嫌はそれほど悪くありませんでしたが、最近は私が日本セーリング連盟の国体副委員長になってからは少し雲行きが変わってまいりました。
 近頃は「どちらから給料をもらっているのですか。」と言う言葉がやたら多く発言されます。その時はもちろん市役所です。と答えますが。
 私のヨットライフを今になってから崩すわけにもいかない状況でありますが、最大の原因は長女を平成13年2月17日に嫁に出したことの寂しさから来るのではないかと思います。
 家の中で段々話し相手のいない老人世帯になって行く現状がつらくなってまいりました。
 愛知国体が終わって私が県連の理事長を柴沼さんから引き受け、日本セーリング連盟の役員になっていることも妻には遊んでもらえないことから面白くないみたいです。

 最近は特に海陽ヨットハーバーで多くの全日本大会が開催され県連の競技運営も全国的にレベルの高い評価を戴くこととが多くなっています。
 今年だけでも11月に全日本OP級、全日本470級、12月には2003年ナショナルチーム選考レースを9日間の開催と言ったビッグレースを目白押しに開催してまいりました。

 全日本自治体職員ヨット大会も海陽ヨットハーバーの開催が常連になっていますし、来年の第30回の記念大会も開催する予定になっております。
 是非来年の全日本大会は盛大に開催し、名古屋市役所ヨット部の活躍と底力をみせたいものです。
 名古屋市役所ヨット部とともに歩いてきた私もあと7年で卒業することになりますし、これほど「ヨット」と出会ったことが人生の中心となるとは思いませんでした。
 心地よい波の音色を聞ける時が来ることを待って今後もヨットライフを楽しんでいきたい。
 20周年記念誌にも書きましたが「30年記念誌」の時には孫を連れて参加したいと思っていたが、まだまだ先のようです。
 妻もまだまだ夫とヨットは完全にあきらめてくれませんが、今年の10月に娘と二人でフランス旅行に行き、毎年海外旅行に行くと言っています。
 私への鉾先を変えてくれることを期待しながら、2004年の中部国際空港が完成したら妻と海外へ飛んでみます。もちろん行き先はセーリングができる地中海かニュージーランドかと夢をみております。
 また2007年には「美州U」の進水をしますので、皆さん期待していて下さい。
 鳥羽クルージング牡蠣ツアーに美州Uで行きましょう。

[名古屋市役所ヨット部へ提案]
あと少しで創部メンバーが市役所を卒業します。
そこで提案いたしますので、ご検討をお願いします。
 名古屋市役所ヨット部規則改正
  * 部員は名古屋市役所ヨット部に在籍していたOBも部員とする。
  * 部費はOB部員 5,000円/年とする。
以上宜しくご検討下さい。
次ぎの40周年記念誌に何かを書きたいので提案させていただきました。
また、40周年には創部の発起人は誰もいなくなることから提案させて戴きました。